このサイトのトップページの突然の二つの和文英訳の話に戻りますが、私はよく、①のような文章を構成する言葉のことを「しなやかな言葉」、②のような文章を構成する言葉のことを「ごつごつした言葉」と表現することにしています。
この二つの表現をよく考えてみると日本人の英語に対する理解の仕方が明らかになってくると思います。
どうして日本人が①のような文章を作ることはできないけれど、②のような文章は作ることができるのかというと、日本人は英語と日本語との間に一対一の対応関係があるはずだと錯覚している節があり、その一つ一つの対応関係を追って文章を作ってしまうので「ごつごつ」してしまうのです。
「政府」=「government」
「政治的な」=「political」
「圧力」=「pressure」
これらのような日本語の対応語としての英語単語を記憶していれば、どんなに概念的に複雑な内容の文章でも作ることができるのですが、逆に言うと一つでも対応語を記憶していなければ途端に文章を完成させることができなくなってしまうのです。
仮に「圧力」=「pressure」という単語だけが分からないと、もうこの文章全体の意味を伝えることができなくなってしまうのです。日本人にとっては、英語を話すということがあたかもパズルの作成のように、そこにはめ込まれるべき特定の単語が必ず一つあるはずだと思い込んでいる点においてごつごつしているのです。
ひるがえって、①の文章を考えてみると、巻末の回答をご覧いただければ分かりますが、その文章に使われている単語は全て基礎的なものばかりで、英語を学び始めたばかりの方でもおそらく知らない単語はないはずなのです。それでいてその文章の流れは非常に「しなやか」です。
コミュニケーションというものは本来、自分のうちなる感情を相手に理解させあうためにあるもので、ひとつでもあわないと完成しないようなはめ込み式であるものではないはずです。その感情を伝えたい人間の持っているありったけの単語を好きなように組み合わせて伝えることがコミュニケーションであるはずです。
このことを大前提と考えれば、結果的に「しなやかな」文章が自動的に作られるのではないかと思っています。
人間がスムーズに日常生活を送るためにはこれらの「しなやかな言葉」をいかに多用できるかにかかっています。
ただ、この「しなやかな言葉」は「ごつごつした言葉」と違って捕まえることが難しいという性格を持っています。なぜかというと、あまりに人間の生活と一体化してしまっているため空気のようにつかみ所の無い状態で存在しているからです。
このことをもう少し具体的に説明するためには「街角英語実況中継学習法」を行うときに直面する問題について考えてみるとよいと思います。
まず、単語を日本語ベースでつかまえる事に関しては紙とペンを常に携行していれば問題は無いと思います。
問題はその日本語に対応する英語を和英辞書を使って引き出す作業にあります。まず間違いなくこの作業を普通にしようとすると前に進めなくなる場面が出てくることと思います。
なぜなら、①和英辞書にそのままずばりの単語が無い場合、②複数該当する単語があり、どれを用いるべきか自信が無い場合 があるからです。
それではここで、1と2の両方の場面設定における合計34個の単語を振り分けをしてみようと思います。①②のどちらにも当てはまらないズバリの単語がある場合を③として三つのケースに振り分けます。
という結果になりました。なお、③のそのものズバリの単語があるケースに関しては自信を持ってそれを自分のものにしてしまえば問題ありません。和英辞書だけで「街角英語実況中継学習法」が完結してしまう非常にありがたいケースです。
しかし、①のそのものズバリが無いケースは、和英辞書によって何の手がかりも得られないという一番厄介なケースになります。また、②の複数の単語があるケースは、和英辞書によって何らかの手がかりは与えられているけれども自信を持って自分のものにできるにはまだ、もう一歩、決め手を必要とするという煮え切らない状態のケースということになります。
ここに、和英辞書の限界を体感していただけたと思います。この問題を議論するとき私はフランス留学時代の語学学校の講師の言葉を思い出します。
当時、私が授業中にわからない単語を仏和辞書もしくは和仏辞書で調べようとすると
「辞書は持つな!捨ててしまえ」「とにかくわからないことは講師に聞け」といわれたものでした。
「分からないことは人に聞くのではなく辞書で調べることが正しいことだ」と小さいころから当たり前のこととして教え込まれてきた日本人の私は本当に大きなショックを受けたことを覚えています。
しかも、単語がわからず何を言っていいかわからないから困っているのに講師に聞けということには非常に困惑したものです。
このフランス人の講師が言いたかったことはこういうことだったのだと思います。「辞書で調べたところでズバリわかる単語なんて半分くらいに過ぎないし、しかもズバリだったとしてもそれをどのように使うかはぴったりの例文が載っていなければわからない。単語は単語だけでは完結できず、その用法を知って初めて理解したことになるのだ。だから生きた教材が目の前にいるのだからとにかく講師に聞きなさい。」
私がランゲッジヴィレッジで、人間の生活に必要な言葉を想起させる環境を作り、なおかつそこに生きた教材である外国人講師を配置していつでも生徒さんからの質問に対応できる体制を作った理由はまさにこのことなのです。
しかし、ここではその環境を学習者自らが作り出すにはどうしたらよいかという話ですから話を元に戻します。
まず、①のそのものズバリが無いケースでは、日本語で他の表現方法を探すという方法です。先ほど、言いたいフランス語がわからないから困っているのにその人間に対して和仏辞書も使うなという指導をする講師の意図はここにあったのです。この場合、「途中から」という言葉が無いので、その意味を伝えることのできる別の表現を探すのです。
たとえば、「その間に」という表現はどうでしょうか。日本語の意味としては「途中から」と大差は無いはずです。そして、和英辞書で調べてみると
「in the meantime」
というそのものズバリの単語があり、③のケースに相当することになります。
この他の言葉で表現するという技術はコミュニケーションを円滑にする上では非常に重要な技術なのですが、唯一解を常にもとめられる学習姿勢に慣れてきている日本人にとってはなかなか難しいので、はじめは意識してトレーニングすべきです。
次に②の複数の単語があるケースについてです。和英辞書によって少なくとも二つ以上の候補は挙がっているのだが、そのうちのどれをどのような用法で使うべきかがわからないということです。すなわち、このケースこそ、生きた教材である外国人講師が適役なのですが、ここではその外国人講師に代わるものを提案しなければなりません。
ここで私は「英英辞書活用勉強法」を提案いたします。